館山市立神余小学校PTAブログ

【連載】神余探訪4 塩井戸


前回の「【連載】神余探訪3 松野尾寺~かえでの木誕生の地」からの続きです。


さて、そろそろ神余探訪もあとひとつを残すところとなりました。

ここは神余住民の誰もが知っている「塩井戸」です。

塩井戸の歴史や伝説については以下の画像をご覧いただくとして

35.jpg


夢の無い話をして申し訳ありませんが、井戸水の塩っ気は、実は
塩分では無く、硫化水素によるものだそうで、深さは4mほど。
見ている間中、井戸の中からポコポコとガスが出ていました。

それにしても、普通、井戸というのは、水が無くて困るから掘る
というのが、通常の考えだと思うのですが、この塩井戸に関しては、
川の水が流れている中に井戸を掘るというとても珍しいものです。

伝説を抜きにして考えた場合、なぜそんな奇妙なことをしたのか?
そのことについては謎が深まるばかりです。

井戸から上流方向を見ると、歴史的価値のある石の橋があります。

36.jpg


橋はしっかりしているのですが、川の両脇のコンクリート部分が
崩れてしまったため、現在、補修工事を行っていました。

昔の技術が、どれだけ優れていたかを窺い知ることができます。

37.jpg


ゴールはスタートと同じ旧JA跡地です。

元の場所に戻ると、地元「神余里味発見伝協議会」の方々が
サプライズで、焼き芋を振る舞ってくださいました。

ちょうどお昼どきだったせいか、野山を歩いてきた児童も保護者も
ホクホクのサツマイモを美味しそうに頬張っていました(笑)

38.jpg


ラストは、ずっと元気に楽しく学びの多いガイドしてくださった
中屋さんをはじめ「また旅倶楽部」および「神余里味発見伝協議会」の
みなさんにお礼を述べて解散となりました。

39.jpg


冒頭にも書きましたが、体力に自信が無く、険しい山道を歩くことに
不安を感じていた筆者ですが、全行程3時間のトレッキングであったにも
かかわらず、まったく疲れを感じることはありませんでした。

そればかりか、あらたな歴史を発見できた喜びが勝り、3時間が
あっという間に感じられましたし、正直足りないくらいでした。

思い返せば、行く先々で、中屋さんの説明を聞いた参加者の多くが
「へ~!」と驚きの声を連発していました。

生まれてからずっと神余で暮らしている地元民でさえ、あらたな
気づきが得られる今回の探訪を経験してみて、歴史を知ること、
語り継ぐこと、が、如何に大切であるかを強く感じました。

ここで、そっと目を閉じ、想像してみてください。

いつも見慣れたこの場所ですが、数百年前には、巴川を挟んだ両方に、
お城が2つ存在していて、そこに人々が息づいていたのです。

児童達の通学路を、頼朝や弘法大師が歩き、背中に荷物を載せた
馬や牛が山道を行き交い、道端のお地蔵さんを目印に観音様をお参り
していた人々が居たのです。

全国津々浦々、どこの名所でも、ありがちな話として

「行こうと思えば、いつでも行けるという気持ちがあるためか、
 地元の人間ほど、あまり行くことが無い」

と言われることがありますが、今回の探訪を通して、地元の人間
だからこそ、行くべきだと思いましたし、町おこしの一環としても
温故知新が必要だと思いました。

今回のPTAブログは異例の長さになってしまいましたが、あらゆる意味に
おいて「神余」という土地が、過去の歴史の上に成り立っており、
それこそが「神余民」の関心事であると思ったことに加え、神余の未来の
発展に過去の歴史や伝説は必要不可欠なものと判断したためです。

また、高齢や諸事情で山道を歩くのが困難な方、および、
現在は神余を離れた元地元の方々などが、
このブログにある「神余探訪」を疑似体験して頂くことで
それぞれに思いを馳せていただければ幸いです。

今回ガイドの中屋さんには、とても素晴らしい案内をして頂きましたが
これから先、いつ、どんな時代になっても、神余の歴史を伝えていくべく
今後は神余の地元民が、おらが町の語り部さんなっていけたら良いと
思いました。

今回歩いたコースは初心者向けの入門コースだったということで
もし次の機会があった際には、是非未体験の史跡を探訪したいものです。

ご協力いただいたみなさん!本当にありがとうございました!

そして、参加されたみなさんもお疲れ様でした!

(お☆ひ)


【速報】神余探訪 初級編 全話終了】

スポンサーサイト
  1. 2016/02/28(日) 23:59:01|
  2. PTA行事

【連載】神余探訪3 松野尾寺~かえでの木誕生の地


前回の 「【連載】神余探訪2 山下城~大高尾の大井戸」からの続きです。


集会所を出発すると、舗装はされていますが、急な登り坂が続きます。
途中、道の脇に、謎の四角い水溜めがありました。

これは一体なんなのか?あなたはわかりますか?

23.jpg


実は昔、ここが街道だったことから馬や牛が頻繁に往来していました。
坂が続くので馬や牛も喉が渇きます。

なのでこれは、馬や牛のドリンクバーとのことでした。
優しい心遣いですね。

その後も、急な上り坂は続きました。

さらに、その途中からは舗装道が切れて、道なき道へ突入です。

24.jpg


この頃になると、依然、児童たちは元気ですが、保護者たちの
ペースが遅くなり(笑) 中には落ちている木の枝を杖代わりにして
肩で息をしながら歩く親もいました(笑)

山道をずっと進むと、道の脇に小規模な濠。
中を覗くと「ヒカリゴケ」。たしかに、薄っすら光ってます。
こんな何気ない発見も、山歩きを飽きさせない要素になっています。

25.jpg


昔の日本は66ヵ国あったそうで、そこに納経しながら諸国を
回国巡礼していた「六十六部行者」俗称・六部様がいました。

当時は、銀行のATMなどが無いので、現金を持ち歩いて旅をしていた
為に、途中で山賊などからお金を盗まれたりするらしく、金を盗られた
六部様は、今度は自分が金を奪うために盗賊になることが多かったため、
人々からは嫌われる存在だったそうです。

その六部様が、巡礼の途中で行き倒れた際、地元の人たちの厚意で、
亡骸を供養するために建てられた回国塔がありました。

このような供養塔は、今でも全国各地に点在するらしいのですが
ここ神余の回国塔は、夏場になると草木が生い茂り、見えなくなって
しまうとのことです。

26.jpg

27.jpg


さらに、険しい山道は続きます。

その途中、昔、峠の茶店だったという場所の対面に、深い井戸が
ポッカリと口を開いたまま残されていました。

かなり深い井戸につき、夏場の草木が生い茂て見えなくなる時期に
誤って井戸に落ちてしまった場合には、誰にも見つけてもらえない
この散策で一番恐怖を感じた井戸です。

28.jpg


しばらく歩くと、道幅は狭いものの、ようやく舗装された道に
でました。

その途中の道脇の広い場所に、お地蔵さんがありました。

以前は土砂で埋り、その存在を誰も知らなかったようですが、
最近になって、土からほんのちょっと見えていた石段が見つかって、
掘り起こしてみたところ、この地蔵さんが出てきたそうです。

29.jpg


その先を行くと、ほどなく松野尾寺跡がありました。

30.jpg


松野尾寺も金丸氏の三回忌の際に建てられた寺でしたが、大正の
関東大震災で寺が壊れた為、そこにあった観音様が、現在は自性院
に置かれています。

実は、ここも寺子屋時代の二番目の神余小学校跡だそうで、
現在、神余小の校庭にある、あの大きな「いろは楓(かえでの木)」は、この場所から移動して植えたものだそうです。

神余の昔の財力があった家のお墓は、ほとんどこの場所にあるそうで、
墓石はわざわざ伊豆から切り出したものを一旦江戸の有名な石屋さんに
送り、そこで名前などを掘ってもらってから、舟でここまで運んで
きたらしく、相当お金が掛かっているとのことです。

やはり、こだわり抜いた石だけあって、何百年も前の墓石なのに
ほとんど風化も欠損もしておらず、墓石の角々がしっかりと残り
品格を保っていました。

31.jpg


その道のちょっと奥に進むと道脇の濠に、六地蔵のひとつと言われている
旧松野尾寺地蔵がありました。

左手に光の玉を持ち、右手で「いらっしゃい」のポーズをとっています。

32.jpg


ガイドの中屋さん曰く、「旧来迎寺跡は一見の価値あり!」とのことです。
石が綺麗に切り抜かれた見事なものだが、現在は竹藪につき、説明だけで
終わりました。

来迎寺は塩井戸が出来た際、それを管理するために出来たお寺
だそうで、歴史としては小塚大師の4年前に建立されたようです。

当時、弘法大師の営業部隊は、高野山を広めるために、
ここに集まり、伝説を作るべく「こういう偉いお坊さんが来るよ!」
と触れ回りながら宣伝をしていたそうです。

それにより、白浜の芋井戸などの伝説の場所を沢山作って
この来迎寺で、すべて管理していたのだそうです。

33.jpg

ここは旧来迎寺の入り口だった場所です。

34.jpg

⇒ 「【連載】神余探訪4 塩井戸」へと続きます。


  1. 2016/02/28(日) 23:40:46|
  2. PTA行事

【連載】神余探訪2 山下城~大高尾の大井戸


前回の 「【連載】神余探訪1 金丸氏墓地~神余城跡」からの続きです。

その後は、消防詰所の裏手に回り、川に掛かった簡易橋を渡って山下集会所まで歩きました。

14.jpg

15.jpg


山下集会所の脇にある「山下の地蔵」は「神余六地蔵」のひとつ。

昔、山下集会所前の道は、館山に抜けるメイン道だったようで、かつて下立松原神社の神輿もこの道を通ったようです。

分かれ道であるこの場所には、交通安全を願ってお地蔵さまが建てらたとのことです。

さらに、このお地蔵さまの上の高台に、山下城があったようですがその後、畑などが作られたことにより今ではその跡が残っていないとのことでした。残念です。

16.jpg


その後、大高尾へ移動し、集会場前でクイズを一問。

さて、この建物はどうして屋根の部分が一段高くなっているのか?

わかりますか?

17.jpg


【答え】

これは昔、たばこを作っていた建物で、たばこの葉を乾燥するため、燻す際に出る煙を排出するためのものだそうです。


次は、大高尾集会所前へ移動。

「道標(みちしるべ)」と呼ばれる子供を抱いた石仏は、その昔、わが子を亡くした親が建てたものだそうで、観音巡礼道の目印の
役目も兼ねて、ここに置かれたそうです。

18.jpg


昔「大井戸」は、水道の代わりに水源として使わていて枯れたことが無かったらしく、水は現在でも、なみなみと満たされています。

この大井戸にはとても面白い伝説がありまして、

その昔、源頼朝が港から上がって来て、六兵衛さん宅に立ち寄り一服させてくれと言ったところ、貧乏だからおもてなし出来ないと
断ったそうですが、そう言いつつも、心優しい六兵衛さんは鍋で米を焼いて振る舞ったのだそうです。

そのお礼に頼朝が「安房一国(あわいっこく)」をやると言ったところ、六兵衛さんは「粟一石(あわいっこく)」じゃ、もらってもしょうがないと勘違いしながら、名前(姓)が欲しいといったそうなんです。

そこで頼朝は、焼き米を振る舞ってもらった場所が六兵衛さん宅のちょうど「中の間」だったことから、「中ノ間」と名付けてくれたらしく、そこから六兵衛さん家族は「中ノ間」の姓を名乗っていたのですが、

明治政府になって、役所に名前を届けに行ったところ、勝手に「ノ」を取られてしまい、今の「中間」姓になったとのことです。

かなり興味深く面白い話です(笑)

さらに、頼朝から「何に不自由してる?」と言われた六兵衛さんが「水に困ってる」と答えると、頼朝は矢を持ってゴロゴロと地面を
突っついたらしく、そこから水が湧き出てきたという伝説があり、

その湧き水の出た場所こそが、この「大井戸」になるのだそうですが信じるか、信じないかは、あなた次第です(笑)

大井戸の奥には、かつて水道として使用していたという石碑があって
今では文字が消えてしまって見にくいですが、その謂れがしっかりと
残されています。

19.jpg


午前10時半。大高尾集会所をお借りしての休憩タイム。
全員に温かいココアが振る舞われ、子育て推進委員会の方々のご厚意で、数種類のお菓子も振る舞われ、児童も保護者も楽しいくつろぎのひと時を過ごしました。

20.jpg


休憩中、中屋さんがフリップを使って、神余のこれまでの歴史について語ってくださいました。たとえば、

昔、金丸氏の家老だった山下氏が、金丸氏を裏切ったことや、その200年後の江戸時代後期に、曲亭馬琴によって創られた
「南総里見八犬伝」は、その話をモデルにしたらしいこと。などなど。

興味深い話を知ることで、より歴史の理解が深まりました。

21.jpg


休憩後、このあと山道を歩くことになるので、捻挫やケガ予防のためみんなで準備体操をしました。

遂に、筆者が一番恐れていたルートへの突入です(汗)

22.jpg


⇒ 「神余探訪【3】 松野尾寺~かえでの木誕生の地」へと続きます。





  1. 2016/02/28(日) 23:24:09|
  2. PTA行事

【連載】神余探訪1 金丸氏墓地~神余城跡


2月と言えば一年の中で最も寒い月と認識していましたが、今日はそのことを忘れてしまう程、穏やかで暖かい日曜でした。

午前9時、とても天候に恵まれた青空の下、旧JA跡地に「神余探訪」に参加する児童と保護者たちが集まりました。

「神余探訪」とは、読んで字の如し、神余の各所に点在する史跡を自らの足で歩きながら、遥か遠い昔、この地で息づいていた先人達の文化や後世へ伝えるために残された数々のメッセージに触れるべく生きた歴史を学ぶ散策です。

01.jpg


神余史跡の多くは、山々に囲まれたものが多く、険阻な細い道のりを歩くこと必至です。

そのような事情から、探訪前の筆者は、日ごろの運動不足を懸念し、最後までしっかりと散策することが出来るだろうか?と、いささか不安を感じながらの参加となりました。

本日、神余探訪でガイドを務めていただくのは、「また旅倶楽部」および「神余里見発見伝協議会」の中屋さんとそのメンバーの方々です。

02.jpg


コースは、神余小の児童たちが以前作成した「史跡表示板」を辿りながらのタイムスリップ散策となります。

まずは、43代目 金丸氏が眠る、平田集会所裏手の墓地を参りました。

03.jpg


西暦800年代、里見氏よりも遥か100年も前に、金丸氏は、当時、征夷大将軍であった坂上田村麻呂に仕え、その褒美として、この地(神余)を治め、日吉神社や金丸城を造った人物です。

日頃、利用する「ふれあいの里」近くに、名代子孫の墓石があることを筆者は初めて知りました。

そのほかにも歴史的価値のある像などがいくつかあるのですが、中屋さん曰く、その価値に気づくには更なる勉強が必要とのこと。

価値がわからない人は折を見て神余の歴史を勉強しましょう^^

04.jpg


次に、日吉神社を通り過ぎ、突き当りを右手に曲がって少し先に進むと、神余小学校が最初に誕生したという場所に到着。

昔、金丸氏が山下氏に攻められたのち切腹し、その三回忌に安楽院というお寺が建てられ、そこで寺子屋を始めたのが、今の神余小学校のルーツとのことでした。

05.jpg


次に、現・神余小に隣接する、和穎さんの家の前へ。

そこには横幅のある石の階段があって、昔、神余の殿様のお屋敷の入り口があった場所とのことです。

当時、和穎氏は下立松原神社の岡島氏と養子に行ったり、来られたり金丸氏と結婚したりしたそうで、

なぜこんな経歴が分かるのかといえば、かつての神主さんが、漢文で「金丸累代鑑」を書き残したからだそうです。

そこに神余1300年の歴史がビッシリと記されていたおかげで、現在、その詳細な事実を知ることが出来るのだそうです。
記録をマメに取ることって、本当に大事なことですね。

和穎氏は神主さんの息子さんが養子に来たことで、漢学者になり、寺子屋を創り、学問を教えていたそうです。

和穎氏は元々、平家の流れで、お墓の紋は「お日様と月」。
今の千葉市のマークの元となっているそうです。

06.jpg


現・神余小の講堂(体育館)のある場所に、かつて金丸氏が住んでいたらしく、高い場所にある城に昇り降りするのが面倒との理由から、普段は城下で暮らしていたようです。

07.jpg


次に、戦(いくさ)塚とか、わだ塚と言われていた場所へ。
ここには殿様の代々のお墓があったらしいです。

08.jpg


次は、急勾配の細い山道を登り、神余城跡へ。
そこには、濠があり、攻めてくる敵が簡単には侵攻できぬよう、矢で優位に攻撃するなどの機能的な構造になっています。

09.jpg


ちょっと蛇足ですが、この場所は、昨年5月頃に、児童たちがサクラの苗木を植えたところです。
訪れたついでに桜の成長度合いを確認してみましたが、まだまだ樹木と呼ぶには幼い状態でした。
今後も定期的に確認してみたいと思います。

金丸城跡から下山する際、細い道の脇に、女人が頬杖をつく像がありました。
これは当時、女性の権力が、かなり強かったことを示しているようです。
昔も今も、かわりませんね~(笑)

10.jpg


次に八郎さん宅脇へ。そこには深く掘られた川と、そびえ立つ崖があり、敵が簡単に登ってこられないよう工夫されていました。

大昔の川は、一本に真っすぐ伸びた深い谷川でしたが、のちに上流で湧水を堰き止め、人工的に今のような形で外側に回しながら、右に左に、計画的に水路を切り回したことによって、各田んぼへ順々に水を落としているそうです。

ダムも無いのに、これだけ広大な棚田の構造になっているのは、農業博士から見ても優れていると感心されるほどの農業遺産だそうです。

この付近に「加藤姓」が多い理由は、元々、加賀からやってきた藤原一族だからとのこと。

11.jpg

12.jpg


午前10時。消防詰所脇にて一時ドリンク休憩。各自ノドを潤しました。

13.jpg


⇒ 「【連載】神余探訪2 山下城~大高尾の大井戸」へと続きます。

  1. 2016/02/28(日) 22:06:35|
  2. PTA行事

平成27年度「かなまり」文集発刊のご報告


おかげさまで、平成27年度の文集「かなまり」を無事、
発刊する運びとなりました。

bunsyu1.jpg


地域の皆様をはじめ、先生方、児童の皆様には
お忙しいなか心のこもった原稿をお寄せいただき
ありがとうございました。

bunsyu21.jpg

bunsyu31.jpg


皆様方お1人おひとりのご協力により、
すばらしい文集となりましたこと、文化広報部一同
心よりお礼申し上げます。

これからもご支援、ご協力のほど
宜しくお願い致します。

神余小文化広報部員 一同

  1. 2016/02/27(土) 23:39:10|
  2. PTA行事
次のページ

プロフィール

館山市立神余小PTA

Author:館山市立神余小PTA
ホタルの飛び交う里山のスモールスクール。

少人数ならではのきめ細やかな教育と、思いやりを育む地域連携の充実。

神余小学校で学んでみませんか?

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (21)
学校行事 (142)
PTA行事 (218)
地域行事 (52)
神余小検定 (4)

リンク

閲覧訪問者数

フリーエリア

外為どっとコム評判

リンク

このブログをリンクに追加する