館山市立神余小学校PTAブログ

【連載】神余探訪2 山下城~大高尾の大井戸


前回の 「【連載】神余探訪1 金丸氏墓地~神余城跡」からの続きです。

その後は、消防詰所の裏手に回り、川に掛かった簡易橋を渡って山下集会所まで歩きました。

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山下集会所の脇にある「山下の地蔵」は「神余六地蔵」のひとつ。

昔、山下集会所前の道は、館山に抜けるメイン道だったようで、かつて下立松原神社の神輿もこの道を通ったようです。

分かれ道であるこの場所には、交通安全を願ってお地蔵さまが建てらたとのことです。

さらに、このお地蔵さまの上の高台に、山下城があったようですがその後、畑などが作られたことにより今ではその跡が残っていないとのことでした。残念です。

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その後、大高尾へ移動し、集会場前でクイズを一問。

さて、この建物はどうして屋根の部分が一段高くなっているのか?

わかりますか?

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【答え】

これは昔、たばこを作っていた建物で、たばこの葉を乾燥するため、燻す際に出る煙を排出するためのものだそうです。


次は、大高尾集会所前へ移動。

「道標(みちしるべ)」と呼ばれる子供を抱いた石仏は、その昔、わが子を亡くした親が建てたものだそうで、観音巡礼道の目印の
役目も兼ねて、ここに置かれたそうです。

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昔「大井戸」は、水道の代わりに水源として使わていて枯れたことが無かったらしく、水は現在でも、なみなみと満たされています。

この大井戸にはとても面白い伝説がありまして、

その昔、源頼朝が港から上がって来て、六兵衛さん宅に立ち寄り一服させてくれと言ったところ、貧乏だからおもてなし出来ないと
断ったそうですが、そう言いつつも、心優しい六兵衛さんは鍋で米を焼いて振る舞ったのだそうです。

そのお礼に頼朝が「安房一国(あわいっこく)」をやると言ったところ、六兵衛さんは「粟一石(あわいっこく)」じゃ、もらってもしょうがないと勘違いしながら、名前(姓)が欲しいといったそうなんです。

そこで頼朝は、焼き米を振る舞ってもらった場所が六兵衛さん宅のちょうど「中の間」だったことから、「中ノ間」と名付けてくれたらしく、そこから六兵衛さん家族は「中ノ間」の姓を名乗っていたのですが、

明治政府になって、役所に名前を届けに行ったところ、勝手に「ノ」を取られてしまい、今の「中間」姓になったとのことです。

かなり興味深く面白い話です(笑)

さらに、頼朝から「何に不自由してる?」と言われた六兵衛さんが「水に困ってる」と答えると、頼朝は矢を持ってゴロゴロと地面を
突っついたらしく、そこから水が湧き出てきたという伝説があり、

その湧き水の出た場所こそが、この「大井戸」になるのだそうですが信じるか、信じないかは、あなた次第です(笑)

大井戸の奥には、かつて水道として使用していたという石碑があって
今では文字が消えてしまって見にくいですが、その謂れがしっかりと
残されています。

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午前10時半。大高尾集会所をお借りしての休憩タイム。
全員に温かいココアが振る舞われ、子育て推進委員会の方々のご厚意で、数種類のお菓子も振る舞われ、児童も保護者も楽しいくつろぎのひと時を過ごしました。

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休憩中、中屋さんがフリップを使って、神余のこれまでの歴史について語ってくださいました。たとえば、

昔、金丸氏の家老だった山下氏が、金丸氏を裏切ったことや、その200年後の江戸時代後期に、曲亭馬琴によって創られた
「南総里見八犬伝」は、その話をモデルにしたらしいこと。などなど。

興味深い話を知ることで、より歴史の理解が深まりました。

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休憩後、このあと山道を歩くことになるので、捻挫やケガ予防のためみんなで準備体操をしました。

遂に、筆者が一番恐れていたルートへの突入です(汗)

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⇒ 「神余探訪【3】 松野尾寺~かえでの木誕生の地」へと続きます。





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  1. 2016/02/28(日) 23:24:09|
  2. PTA行事

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